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【不生で一切が整う】
仏教のある禅僧は、親の生みつけたものは仏心のみであると説く。
人間だれしも不安になったり、雑念にとらわれ苦悶するものである。その場合、その不安や雑念を取り払おうとばかり、気分転換と称して深酒に酔いしれたり、ゴルフに興じるのが、一般社会人の常である。
仏教において、仏心は不生のままで霊明なものであります。
そして、一切が不生にてで整うと、苦い体験から発見した心の極意をわかりやすく表現しています。
憂鬱感、不安感、焦燥感、緊張感、やる気の無さなど不生で一切が整う。
(不生:一切問わないこと、苦しみのままにしておくこと)
【南無阿弥陀仏】
南無というのは本来「まける」とか、「帰依する」という
意味である。
「無条件降伏」、「負ける」と言うと、はなはだみっともないことのように思える。
症状・弱い自分(心の問題)に打ち勝ちたい、克服したいという強い意欲を持っている人にとっては、たいへん惨めなものであって、死んでも死にきれない思いであります。
心の問題は、阿弥陀仏に負けて(任せて)、いましなければならないことを、どんどん、かたっぱしらからすることである。
「阿弥陀浄土は空っぽだよ」 (阿弥陀浄土に行くには空っぽでよい、負けるだけでよい。)
私たちが描くような、自分の救われ方、治り方というものが、全くいらない。
【平常心是道】
発作の時に、断然すべての安心を求める工夫を捨てて、恐怖その ものになり、我慢したならば、ただちに平常心是道を会得することができる。
強迫観念や対人恐怖は、逃げ道はない、治らないことを良く知るこ と。
あきらめてみたり、勇気をつけてみたり、色々試みることを一切やめることである。
降りかかる災難、湧き出した苦しみはその事実、そのままにあるより他に仕方はない。
【煩悩即菩提】
煩悩を断つのでなく、不安・恐怖・煩悩のままでいること。悟りとは、それはなんでもない。
苦痛は、そのまま苦痛するということである。
何の策略も・骨折りも・修行もいらない。
症状に逃げ道はない。
逃げようとすれば、ますます執着にとらわれる。
現在の苦しい境遇から逃げようとする考えを起こさなければよい。
強迫観念、対人恐怖等は、絶対治らないことを自覚すること。
修養とは、理屈を捨てて、実行を先にすることです。
心は仏の世界、心の脱知性化、ほったらかしが必要です。


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